Project

匹見にまつわるプロジェクトをご紹介

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研究者に匹見へ来てもらい、その専門的な視点で匹見を考察し、レポートに記していただきました。ここでは、そのレポートのサマリーを紹介しています。専門性に長けた彼らは、何を感じ、どのように表現をするのでしょうか?

No.1

“Well-being”
meets 匹見

中村 一浩

喜多島 知穂CHIHO KITASHIMA

慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 後期博士課程に在籍。
公衆衛生学修士。看護師・保健師。

救急医療に従事後、産業保健師として心身のケアや健康経営など企業内における健康維持促進を行う。あらゆる社会課題解決とすべての生命と共に生きる社会を目指し、行動(Doing)だけでなく、心のあり方・意識(Being)の影響に着目し、生命を大切にしたあり方・生き方(well-being)に向けた意識変容や行動変容について、企業・地域・大学と共に学際的研究とプログラムの開発・実践を行う。

はじめに

島根県益田市匹見町を初めて訪れ、well-beingの視点から、森の利活用の方向性について報告する。

まず、匹見町を訪れて感じたことは、「何者でもないまっさらな自分に戻れる場」ということである。匹見町は一見すると日本のどこにもあるような山村である。しかし、周囲を囲むように拡がる広葉樹林や針葉樹林の山々、澄んだ水、渓流から聞こえる水の音や木々を通り抜ける風に触れるうちに、抱えていた仕事や課題などが頭をよぎらなくなった。ただ川や森と共にいることで満たされる自分になれたのだ。言い換えると、他者の視線や「見られたい自分」というものはなく、「自分」に集中できたという感覚である。それが、とても心地よかった。

出発前に「匹見は森や川しかないよ」と数人に言われた。しかし、何もないからこそ、飾らないまっさらな自分に戻れたように思われる。その感覚をもとに、視察の報告を続けたいと思う。

匹見町の魅力

○美しい水が流れる渓流と森の歩道

匹見町のRESTPARKという宿を訪れた。そこは周囲を取り囲むように豊かな森があり、その合間を縫うように渓流が流れている。川に入ることや、川沿いや森を歩くことも可能である。渓流は、心の底から感動するほど美しく魅力的であった。どこまでも澄んだ水、木々や岩々が創り出す景観。周囲の喧噪を忘れさせる空間に、ずっとその場に座っていたかった。さらに、もし夏ならば、ぜひとも岩から川へ飛び込みたい。宿から美しい自然が眺められる場所や宿泊施設は日本のみならず世界中に多い。しかし、自然が育んだ「本来の自然」に触れられる所は少ない。RESTPARKのように、近寄って触れられるそれが宿のすぐ目の前に広がっていることは珍しく、それだけでも大いなる価値があると思われる。環境破壊が進む現代社会において、豊かな森や水自体を価値とする世界は近づいている。匹見が守り育んだ本来の自然の姿は、地球にとっても、人類にとっても、なくてはならないものであると思う

○RESTPARKスタッフ、野村さんのお人柄

RESTPARKのスタッフの野村さんは魅力あふれる人である。突然の訪問にも関わらず、寒さを気に掛けてすぐに温かいコーヒーを振舞ってくれる心配りも嬉しく、さらに、事務局内はとても整っていたことも好感を覚えた。配管修理に来ていた方や宿泊中の学生と会話する姿は、過度な声かけや飾ったりするわけでなく、親しみやすくも干渉しすぎない程よい距離感であった。人を見下したり、自分を変にへりくだることもない、とても丁寧なお人柄だった。RESTPARKや周囲の自然の閑静な空間の魅力を引き出してくれる、とても魅力的で重要な方であると感じた。

○満点の星空

灯りがなく、車の音もしない、漆黒の夜空に光る星は、本当に息を飲む美しさだった。焚き火の温もりや渓流の音を感じながら満点の星空を眺められたら、さらに魅力的で豊かなものになるだろうと思う。

○代々受け継がれてきた暮らしの知恵

見町受け継がれた「暮らしの知恵」は財産であると感じた。神楽があるほど長い歴史を持つ匹見町は、人と自然が共に生きるための「暮らしの知恵」が多くあるように思われる。軒先を見ると、冬を迎える準備をしている家が数軒見られた。もしかしたら、匹見の中に親から子へ受け継がれてきた、当たり前と思うような「暮らしの知恵」が、環境を守りながら生きたいと願う次の世代にとって大きな価値になると思う。

森の利活用の方向性に関する考察

森の利活用の方向性については、well-being(身体的・心理精神的・社会的により良いあり方)の視点から、「本来の自分に戻る場」と、「暮らしの知恵を受け継ぐ場」として活用できる可能性があると考えた。

まず、「本来の自分に戻る場」について述べる。日々の生活は、SNS技術の発達とともに連絡が取りやすくなった反面、止めどなく来る連絡により、自分のペースを保つことさえ難しい時がある。仕事や携帯をOFFにしたとしても、都心部は車などの騒音も多く、自分に集中できるというよりは無理やり集中しようと行動過多となってしまう。その結果、現代人は身体や心からのサインを無視し、休養を怠った結果、過労がたたり、心身のバランスを崩すことが少なく無い。

しかし、匹見町の自然の中では、ただ居ることで心が落ち着き、他者や仕事に向けていた意識が自分に向けられ、素直な自分に戻れる。騒然とする昨今、本来の自分に意識を向けられる場があることは貴重だと思う。

次に、おのずと自然に触れたいと思う環境設計も魅力的である。自然の中での適度な運動は、心身の健康に効果的である。これを頭で理解していても実行することは難しい。しかし、RESTPARKの設計は、その課題を乗り越えられる可能性を感じた。人の行動の特性として、達成しやすい目標やワクワク・感動といったポジティブ感情が高まる対象の場合は、行動に移しやすい傾向にある。さらに、行動変容の視点を踏まえると、他者の指示による受動的な行動よりも、自発的な行動は習慣化につながりやすい。そのため、RESTPARK内の森や渓流、それらに沿う歩道は、おのずと人を自然の中に誘うことになり、心身の健康の維持向上のためのキッカケになると思われる。

しかし、現在、渓流沿いの歩道は補装されておらず、岩が転がっていて足場は安定しているとは言い難い。枯葉の下に隠れた小岩や壊れている橋は転倒や転落の可能性もある。今後、RESTPARKを中心に人が集まれる場を作るのであれば安全措置は必要であろう。ただし、過度の安全措置は費用負担が大きいだけなく、景観も崩される可能性がある。人の心理として、安全が保障され障害物もないという認識になると、危険予知能力が下がり慢心した行動をとってしまいやすいこともある。しかし、マニュアル化されてない人と人との関わりは認識されやすい。例えば、道路を通る際に、「安全に」というどこにでもあるような工事現場の看板よりも、地元の人に「気をつけてね」と声をかけられた方が記憶されやすい。そのため、安全対策としては、機械的なものだけで補うようなハード面を強固にするのではなく、人と人とのつながりや協力によって保つシステム作りといったソフトの面も同時に創ることが必要であると考える。人と自然が共にあり続けられるようなあり方を見出してく必要がある。

また、「暮らしの知恵を受け継ぐ場」について述べる。この背景には、環境保護が急務である現代社会において、匹見の人々が古くから自然を守り、育み、受け継いできた、自然とともに生きる「暮らしの知恵」が、今後の世代にとって大きな価値になるであろうと思ったことがある。

近年、リサイクルやゴミを出さないといった「ゼロ・ウェスト」の概念が浸透しつつある。しかし、田舎の昔ながらの暮らしを見ると、元々ゴミは少なく、自然のリズムに則り、すべての生命を共に生かし合うシステムが既にあるように思われる。周囲を山々に囲われ、交通アクセスが良好とは言えない地域にも関わらず、21世紀に及ぶまで人々が暮らし続けた匹見町には、人から人へと受け継がれた貴重な「暮らしの知恵」があるのではないだろうか。その知恵をこれから残していきたいと思った。

終わりに

報告書を綴るにあたり念頭に置いたことは、「匹見の地が受け継いできた自然や知恵を守り、次の世代に繋げる」ということである。なぜなら、自然や人々が育んできたすべてが価値そのものだからである。

この報告書が、匹見町の人々や自然、今後の社会全体に対して、何かのヒントに繋がるかどうかは分からないが、匹見の地に感謝の気持ちを込めて、報告を以上とする。